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諏訪根自子 画像 美貌なれ昭和 動画 [エンターテイメント]



諏訪根自子さん死去

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諏訪根自子さん12歳の時のレコードです。
「Humoresque ユーモレスク」


【朝日新聞デジタルニュース】
美貌(びぼう)の天才少女として一世を風靡(ふうび)し、日本人で初めて国際的に活躍したバイオリニスト、諏訪根自子(すわ・ねじこ)さんが3月に死去していたことが24日、分かった。92歳だった。葬儀は近親者だけで行った。
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3歳でバイオリンを始め、ロシアの名教育者、小野アンナらに師事。品格と情熱を併せ持つ演奏が巨匠ジンバリストに高く評価され、12歳でデビューする。かれんな容姿も相まって、日本中に「天才少女」ブームを巻き起こした。
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1936年、16歳でベルギーに留学し、39年に欧州デビュー。開戦をきっかけにドイツに移り、クナッパーツブッシュ率いるベルリン・フィルとも共演する。日独友好のシンボルとなり、ナチス高官のゲッベルスから名器ストラディバリウスを贈られたというエピソードも。終戦後に帰国し、井口基成や安川加寿子らとともに日本の楽壇を率いたが、ここ数十年は表舞台から遠ざかっていた。
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【美貌なれ昭和 諏訪根自子と神風号の男たち】
ダイジェストです。


【花の絵 音楽・映画評論サイト】
戦前から戦中にかけて海外でその実力を認められ、高い評価を得ていた世界的ヴァイオリニスト、諏訪根自子(すわ・ねじこ)。おそらく彼女の名前を見て胸を熱くするのはかなり上の世代だろう。
諏訪のファンだった城山三郎は「日本が初めて生んだ知的な美人という気がした」と述べていたそうだ。たしかに綺麗な顔立ちである。一目でそれと分かる美人ヴァイオリニスト。ただ、音楽的にはどうなのか。「日本人初の世界的ヴァイオリニスト」という看板に偽りはないのか。それもレコードやCDが入手困難な状況にあるため、私には確かめようがなかった。

そんなある日、諏訪根自子独奏によるJ.S.バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」全曲を聴く機会を得た。知人が数万円出してレコードを購入したのだ。私はあまり期待もせずに出向き、スピーカーと向き合った。そして、ノックアウトされた。パルティータ第3番を聴き終えた後は、胸がいっぱいになり、「まいった」という間抜けな感想しか出てこなかった。あれからもう5、6年経つが、今もその余韻はうっすらと、しかし消えることなく残っている。

諏訪根自子は1920年1月23日東京生まれ。3歳からヴァイオリンを始め、中島田鶴子に師事。1年後、中島の師である小野アンナの指導を受けた。小野アンナはロシア生まれ。貴族の出で、ロシア革命を逃れて来日、多くのヴァイオリニストを育てた名教師である。その指導はかなり厳しかったようだが、おかげで諏訪のヴァイオリンの腕前はめきめき上達した。

1927年に一条公爵家の園遊会、1929年に小野アンナ門下生の発表会で演奏を披露し、評判となる。1930年からはアレクサンドル・モギレフスキーに師事。師から「天才という言葉があります。彼女の場合、これは少しも誇張された言葉ではありません」と絶賛される。
1931年1月、来日した名ヴァイオリニスト、エフレム・ジンバリストの前でメンデルスゾーンのコンチェルトを披露、ジンバリストを驚かせた、という記事が朝日新聞に載る。その際ジンバリストは「早くヨーロッパに行って先生についてはどうか。自分も必ず年に二度ずつ立ち寄って面倒を見るから」と激励したらしい。

1932年4月9日、日本青年館で正式にデビュー。その演奏を客席で聴いていたフランスの閨秀ヴァイオリニスト、ルネ・シュメーのコメントが残されている。「理屈は抜きにして、ヨーロッパへ行っても、この歳でこれだけの子はいません」ーーここまではエリカ・モリーニか、ジネット・ヌヴーか、諏訪根自子か、という勢いだ。

1936年1月、交換留学生としてベルギーへ。エミール・ショーモンに師事した後、パリでボリス・カメンスキーに教わり、1939年5月19日、サル・ド・ショパン(ショパン楽堂と表記している資料もある)でヨーロッパ・デビュー。しかし、まさにこれから輝かしいキャリアが始まらんとしている時、第二次世界大戦が勃発する。
そのままパリに留まった諏訪は、ジャン・フルネ指揮、コンセール・ラムルーと協演。1942年頃、同盟国ドイツに移住。1943年にはハンス・クナッパーツブッシュ指揮、ベルリン・フィルと協演。ゲッベルスからストラディヴァリウスを贈られたのもこの頃のことだろう。
1944年にはスイス(ローザンヌ、ジュネーヴ、チューリヒの3都市)でリサイタルを開き、賞賛される。中立国とはいえ、当時の日本人に対する目線は決して寛容なものではなかったと思われるが、聴衆は諏訪の魔術のような演奏に感嘆し、惜しみない拍手を送ったという。

1945年12月7日、アメリカ経由で帰国。帰国するまでの間、諏訪はストラディヴァリウスを肌身離さず抱えていた。『アサヒグラフ』のインタビューにも「これだけは生命がけで大切にしてきました」と答えている。
1946年10月3日に開かれたコンサートを皮切りに演奏家としての活動を再開。1960年頃から公の場では演奏しなくなった。1968年に大学教授の大賀小四郎と結婚。大賀が西独日本文化館初代館長に就任すると、夫と共に渡欧し、1972年に帰国した。

1981年、J.S.バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」全曲のレコードを発表、大きな話題を呼んだ。これは1978年から1980年にかけて録音されたもので、一切テープ編集を行わず、そのまま世に出したという。つまりレコーディング・スタッフを前にしたライヴ録音である。
粗はあるものの、どの作品の演奏にも生々しい息遣いと気魄が刻印されている。その響きには聴き手の胸を圧迫するような重みがある。生涯にわたって弾き続けた「シャコンヌ」は厳格さと情熱が交錯する熱演。凄い緊張感である。「激動の昭和、波瀾万丈の青春時代を送った才媛の......」といった一種の感傷的説明を差し引いても、この録音の音楽的価値が下がることはないと思う。
このCDとレコードは一部ファンの間でお宝とされ、かなりの高値で取り引きされている。出来れば再発してもらいたいものだ。

諏訪根自子は今年91歳になっているはず。どこで何をされているのかは分からないが、今もその手にヴァイオリンは握られているのだろうか。



戦前に大活躍した日本人のお話は興味がつきません。





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